能代市二ツ井町では、毎年5月3日に岩関神社例大祭が行われます。
この神社では、安土桃山から江戸初期にかけての武将・梅津政景公を祭神として合祀しています。
春には境内の桜が咲き誇り、お花見も可。
この祭典では、重さ約1トンの祭り神輿が地域内を練り歩き、商店街にはたくさんの屋台も並び、
たくさんの人で賑わいます。

この時期は、近隣のきみまち阪県立自然公園の八重桜や枝垂れ桜も見頃を迎え、まだまだお花見を
楽しめます。桜まつりもこの時期開催しています。

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◆梅津政景(うめづ まさかげ)公について◆
安土桃山から江戸初期にかけての武将。佐竹義宣の茶坊主として近侍し、佐竹氏が出羽秋田に移封されてからは兄とともに勘定奉行や銀山奉行として活躍し久保田藩(秋田藩)の創設に尽力。寛永年期に入ると家老に昇進し、兄 憲忠や小場宣忠と共に藩政を取り仕切った。

≪二ツ井町との関わり≫
政景が知行地として与えられた比井野村(現在の能代市二ツ井町)は、至近を流れる米代川に対し高台にあるため水利が悪く、江戸時代の初めは戸数も15~16戸の寒村であった。そこで政景は隣の藤琴村矢坂の藤琴川から延々用水路を引き、新田を拓いた。用水路が容易につくれない山岳部は、岩をくりぬきトンネルを掘って繋いだ。これが岩堰用水路であり、現在も使われている。新田ができたため比井野村は人口が増え石数も飛躍的に伸びた。政景は大明神として岩堰神社に祀られ、現在でも盛大なお祭りが行われている。
(wikiより引用・一部改変)

東洋一の大銀山とうたわれた「院内銀山」の礎を築きあげた人物でもあると考えれば、
感じるすごさも一入です。(藩がテコ入れするまで、銀山はならず者が跋扈し犯罪が横行する無法地帯だったそうです)