【歴史】清徳寺 Seitokuji Temple

【歴史】清徳寺 Seitokuji Temple

清徳寺は、もとは真言宗で太平山長谷寺と称して荷上場にありましたが、佐竹候が秋田へ遷封された後、佐竹候の菩提寺である天徳寺の末寺として曹洞宗に改宗、天神山清徳寺と称しました。天徳寺11代検外観察大和尚を開山とすると同時に、比井野開拓の功労者・梅津政景公を開基としたものです。その後数度の水禍を受けて比井野に移り、明和4年(1767)小沢山下へ、安永元年(1772)の火災のあと、山根へ移りました。天明6年(1786)、昼火事の災難に遇い再び比井野の現在地に復したといわれます。
境内には、戊辰戦争の戦死者たちの墓があります。西国からの援兵を交え、多くの死者を出した熾烈な戦いで、この清徳寺に眠っているのは肥前佐賀藩士5名、肥前小城藩士3名です。明治14年の明治天皇ご巡幸の折、特に参議大隈重信を代拝させたことは有名な話です。

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