岩関用水工事を指図した比井野・薄井2ヵ村耕地開拓の恩人・梅津政景公を祭神として合祀している。明治25年の三社堂(注)焼失に伴い、明治29年元加護山神社の社殿であったものを買い取って現在地に再建したもの。ご神体の中には、政景の子孫・梅津忠周が奉納した政景の書状が納められている。この文面は院内銀山の大水貫に関するもので、岩関用水の建設にこの技術が取り入れられたことが考えられる。
注…愛宕・神明・八幡の3柱を祀っていて、二ツ井の後山にあり、堰神の三社堂といって政景公が建立したといわれている。
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